平安の祈りとIBM

痛みと留置バルーンカテーテルからの出血に気を取られると、不思議なことに外転神経麻痺があまり気にならなくなる[良くなっているわけではない(^_^;)]

留置バルーンカテーテルやウロバッグの出血や痛みに気をとられると、気になり方が増幅され不安や痛みも増大する。

すると、あれほど気になっていた外転神経麻痺があまり気にならなくなる。
気になり具合が小さくなると外転神経麻痺が少し改善する。


つまりですね、症状というのは自分自身の気にしちゃう具合(探索行動)によって軽減されたり増幅されるようなのです。

何かを気にする(探索する)と、その何かによる不具合や不安が増大していき、さらに気になるという悪循環となります。

……で、おもしろいことに他のことが気になると、あれほど気にしていたことがあまり気にならなくなるんだね。

すると、もともと気になっていた症状が軽減されるのよ。

ところが気になっていたアレやソレやコレは、その時々の状況によって大きくなったり小さくなったりしますので、結局いつも何かにとらわれてなかなか安心できない状況に身を置くことになり……

厄介なのは、アレへのとらわれが苦しかったり辛かったりすると、その苦痛緩和のためにアレ以外の気になることや不安材料をや不調などのネガティブ要因を探索してしまい、気になることが増えていくことがあるんだね(^_^;)

難儀なことですが、気にすると気にしている症状が悪化してさらに気になる……というアディクティブなことになっちゃうこともあります。

この「気になる(とらわれる)」ことによって様々な支障が出やすいというのは、診断されるかどうかは別として不安や怖れの強い方々(PTSDやCPTSDも含め)や、発達障害傾向のある方々や、強迫傾向の高い方々やなどが抱えやすい傾向と言えます。

さらにこの傾向はいわゆる共依存症傾向の強い方々にも共通してみられます。

過剰に気になっちゃってとらわれてしまうことの根っこにある共通するものは「不安と怖れと劣等感と過剰な承認欲求」ですが、これらも習慣として身についているものなので容易には解消されないのですね。

12ステップグループの方々が使っている平安の祈り(ニーバーの祈り)がとても役に立つのと、
所詮、私たちが自分でどうにかできることなんてわずかしかないので、何事もIBMという、いいかげんでノーテンキみたいに揶揄されているムスリムみたいな生き方がいいですね(^_^;)

ムスリムイスラム教徒のことですが、イスラム社会や文化のなかで暮らす人々のことですね。

IBMってなんや?となりますが、Iはアラビア語でインシャッラーのIで運まかせ天まかせで、まぁ何とかなるさってことで、BはブクラのBで明日ね……ということなんだけど、まぁそのうちね……ということで、MはマーレイシのMで気にしない気にしない大丈夫大丈夫問題ないさ……ということです(^_^;)