長いです……(^_^;)
「それは共依存だから、すぐにやめなさい!」とか言われたことありませんか?
ああしちゃいかん、こうしちゃいかん、アレもコレもやめなさい!って言われたことありませんか?
いったい何をどうしたらいいのかわからなくなっていませんか?
自己決定を誰かに委ねていませんか?
すぐに、どうしたらいいですか?と聞いちゃったりしていませんか?
いちいちコレは共依存なんじゃないかと、心配になったりしていませんか?
共依存という呪縛にとらわれていませんか?
極端なことに釣られていませんか?
だいたい他人のことにアレコレ手出し口出ししちゃうのが共依存なので、そんなこと言ってる人が共依存なんだよ!
あと、ほとんどの人が通る道で、自分もそうだったのにまるで自分は違うみたいに他人にダメ出しするのは共依存そのものなんだよ!
誰かの言動に対してそれは共依存だと断罪すること自体が共依存的言動であり、それは侵襲的加害行為だということに気がついていない人がたくさんいるよ!
そう、共依存は加害行為なんだよ!
誰かに治療や回復を強要するのもある種の加害だよ!
だからロイさんはいつも「もしよろしければ……」と近藤恒夫さんを自助グループに誘っていたのです。
近藤恒夫さんはよく「何事も真面目に一生懸命やっちゃいかん」とおっしゃっていましたし、ほら、皆大事なことを忘れていませんか?
「Easy does it !」とか「Take it easy !」って言うじゃないですか(^_^;)
……で、共依存、共依存と言いますが、もともとは共依存症と呼ばれ(症がついていた)、それは Co-dependence が邦訳されたものです。
それがいつのまにか共依存と称されるようになったのは、医学的な疾病とは違うからです。
Dependenceは依存症ですが、Co-は共通の、共同の、相互の、同等の等ということで、実は対等の役割や立場や責任を表すものです。
しかし、英語というのは不思議で対等性や平等性を示す言葉に、下位に従属するものや補助的役割を示す意味もあるからややこしい。
Co-medical という言葉がありますが、これは医師と看護師以外の医療従事者を指す和製英語でもともと英語にはない言葉なんですね。
そこには対等性や平等性と、補助や従属というアンビバレンツな意味があるわけです
Para-medical という言葉もありますが、こちらは医師を補助する業務をする全ての人達を指し、ここには対等性や平等性はありません。
実は共依存以前に依存症者の問題行動を助長し支えてしまう人々を enabler(イネイブラー)と呼び、その行為をenabling(イネイブリング)と呼んでいたものが、Co-alcoholicと呼ばれるようになり、後に Co-dependence となっていったのです。
共依存の問題の本質がイネイブリングですが他にもプロヴォーキング(Provoking)、ヴィクティム(Victim)、ディナイアル(Denial)の4つが代表的特徴です。
共依存は高EE家族、ストックホルム症候群、カサンドラ症候群と重なり、精神医学的にはCPTSDとも重なりますし、うつ病ともとても仲良しです。
共依存という生き方も、まぁ、それはそれでありかもしれません(迷惑ですが、笑)
このあたり詳細を知りたければウチにおいでよ、もしくは講師に呼んでください、共依存のワ・タ・シが解説します(^_^;)、もしくはgoogle先生にたずねてみてね(^_^;)
共依存は不安と怖れと焦りと罪悪感を、善意と熱意と正義と努力と反省に置き換えたものによって過剰に他人を支配操作し自分の優位性と必要とされている実感を保持し、それによって誰かを劣等に置き力を搾取し無力化していくもので、それによってたくさんのトラブルが誘発され、気がつくといつも他人のトラブルの中に身を置いて忙しくしている人だよ(ワシか? 笑)
いつも誰かの問題に振り回されていて、自分のことは後回し………というか誰かのことが自分のことになってるよね。
起こっている問題をなんとかしようとして、その問題を維持増長させてしまう問題維持システムを構築しているよ。
えっとね、全ての問題の背景には共依存があって、共依存の背景には養育環境の問題(ACの問題やCPTSDの問題)があって、養育環境の背景には共依存の問題がある……という構造になってるんだな。
共依存の原点は乳離れで、分離不安にあるんだね、つまりは誰にでもあるあたりまえに起こることなんだし、私たちは一生のうちに何度もこれで失敗しながら死んでいくんだよ(^_^;)
そして、それは自立に必要なプロセスで、対象恒常性や基本的安全感の獲得に必要なプロセスなんだよ。
気をつけなければならないこは、相手の主体性を奪わない、苦労を横取りするように奪わない、相手の責任を奪わない、相手の代わりに困らない、退行しないさせない、子供扱いしない……ということね。
頼まれもしないことはやらない!
よかれと思ったら言わないやらない!
しっかりしようとしない!
ちゃんとしようとしない!
ダメなひとでいる!
頼りない人でいる!
不親切で冷たいくらいが調度いい!
不安と怖れと焦りと正しさと罪悪感で動かない!
熱意と善意と努力と正義と反省はいらない!
脅しや泣き落としなど、その手には乗らないことが大事ね!
心配は期待なので、期待通り心配しているようになっていくから、心配しないようにしようね!
人のことより自分のこと(自分の都合)を優先に!
私がどうするか、しないかは誰でもないワ・タ・シの問題だよ!
自分の楽しいうれしい美味しい心地よいを犠牲にしない!
そして、知らんがな……だよ!
さらにさらに、私たちは養育環境のなかでもらえなかったり足りなかったりした「抱っことおっぱいとよしよし」を大人になってから、恋人や配偶者や子どもや友人や仲間などに求めてしまい、その時は自分が退行し子ども返りをし、かつての失敗を繰り返してしまいがちで、それを反復強迫というんだね。
でも、それも自分が自立するために必要なプロセスで、ソレによって身につけるのが「あきらめ」なんだよ、知ってた?
何事もあきらめが肝心ね(*^^*)
ソレを受け入れるなんて言うからややこしくなるんだな(^_^;)
小西真理子さんの共依存の倫理-必要とされることを渇望する人々-という著書
全く救いのない映画リービング・ラスベガス
やっぱり救いのない映画映画アンダー・ブルー(もともとドラマだった)
なんかが参考になる……かもね。