ちょっと臨床心理士っぽくなってきたのか?(昔々その昔のはなし)⑫

ちょっと臨床心理士っぽくなってきたのか?(昔々その昔のはなし)⑫

-心理検査と司法精神鑑定と井上正吾先生のこと-

日本臨床心理士資格認定協会が設立され、臨床心理士の資格が認定されるようになったのが1988年(私が精神病院に就職してから10年後です)
そこから今35年を経過して約4万人超の臨床心理士有資格者がいます。

公認心理師は国家資格ですが、2018年の初めての試験から5年で今7万人の有資格者となっています(大丈夫か?)

もちろん他の資格とダブルホルダー、トリプルホルダーの方々がたくさんいます。

ちなみに、私は臨床心理士のみで資格登録番号は 00218 という恐ろしく早い番号です(^_^;)
当時はいわゆる経過措置で、いわば資格をお金で買ったようなものですね(^_^;)

まぁ、なりゆきで(ご縁があって)精神病院に就職して、なりゆきで(ご縁があって)臨床心理士資格をもらい、なりゆきで(ご縁があって、許されて)今日まできています(^_^;)

当時は臨床心理士とはいえただの若造(今はただの爺ぃ、笑)……、当時の精神病院てのはホントに多種多様な仕事がたくさんあって、そのなかにいると自分の職業アイデンティティがわからなくなっていきます。

そんななか地味に雑用の達人になるくらいの勢いで(勢いはなかった、笑)お仕事をしておりますと、それなりに認めてもらえるようになっていきまして、心理検査はまぁまぁたくさんやっていました。

心理検査はとにかく数をこなさないと使えるようにならないと勝手に師匠と思っている先輩から言われていたのもあり、機会がある限りたくさんやろうとは思っていました。

心理検査を実施できるようになるというのと、心理検査を使えるようになるのは別だとも教えられてきました。

特にいわゆる投影法(特にRorschach-technique)に興味を持っていまして、とにかくたくさん実施させてもらいました。
今どきはほとんどやる人いないけどね……(^_^;)
あ、今は自分もめったにやらないなぁ(^_^;)

あと、描画法とかもたくさんやっていました。

病院からはたくさん検査をやったり、患者さんとたくさん会って精神療法等の診療報酬を上げるように……とか、うるさく言われたりもしました。

一方で病棟では、せっかく落ち着いている患者が不穏になるから、心理検査やら精神療法やらいらんことはしないでほしいとか、できるだけ患者に会わないでほしいとも言われ、ダブルバインドのなかでどうすりゃいいのさ……??状態でした。

まぁ、次第に無駄な検査はやらなくなっていきましたけど、それにつれ事務所からのプレッシャーは大きくなっていきました。

医療のなかで臨床心理士なんてほとんど稼げない職種なので、病院内ヒエラルキーというかカーストはほぼ一番下でしたね。

今でもあまり変わらないし、どのような職域でも表向きは別として心理職ってのは、まぁ………むにゃむにゃ……ですな(^_^;)

心理職の先輩はいなかったし、病院も心理職なんて初めての採用だったし、自分がなにをどうしたらよいのかさっぱりわからなかったし、病院も心理職なんてどう使っていいのかさっぱりわからなかっわけで、若さもあって言われたことをやみくもに一所懸命やってるうちに、少しずつ存在を認めてもらえるようになっていきました(心理職としてではない、笑)

それっぽいこともやらないとねぇ……、ってことで取り掛かりやすかったのが心理検査で、全員に描画テストとか、クレペリン検査とか……、アレコレアレコレ節操なく検査をしているうちに、患者さんも職員も興味を持ってくれて、他のスタッフとのやりとりもできるようになり、患者さんとも検査をきっかにつながりができていったりしました。

事務所は違う視点で興味を持ってくれて……、要するにより診療報酬の高い検査を積極的に実施して、診療報酬を上げるようにプレッシャーをかけられるようになっていきました(^_^;)

そんなふうに少しずつ心理職っぽい仕事が増えてくるにつれて、あるお医者さんから「ちょっと手伝って欲しいことがある」とお話をいただいたのが司法精神鑑定でした。

そのお医者さんは今の三重県こころの医療センター(旧三重県立高茶屋病院)の初代院長をなさっていた井上正吾先生で、当時心理職を評価してくださっていた稀有なお医者さんでした。

右も左もわからない若造に、精神医学をいちから丁寧に教えていただいたのも井上先生で、今の私を支える恩師のひとりです。

井上先生は当時たくさんの司法精神鑑定もなさっていて、そこに我々心理職を積極的に使ってくださいました。

司法精神鑑定は刑事事件の容疑者が裁判の過程で検察側もしくは弁護側から要請され、裁判所が必要と認めた場合に実施され、容疑者の責任能力についてを判断するためのものです(説明雑ですね)

精神鑑定というのは他にも精神保健福祉法にもとづくもの、医療観察法にもとづくもの、成年後見法にもとづくものがあります。

鑑定は検察からの依頼の場合や弁護側からの依頼がありました。

分厚い調書を何日もかけて読み込み、お身内含め関係者に会い、本人に会い、心理検査を実施し、作成した所見を先生に渡し、それを参考資料として先生が鑑定書を作成する……のですが、こちらから警察署や拘置所に出向いたり、手錠に縄で病院に連れて来られて……ということもありました。

司法精神鑑定も期限がいろいろで数カ月の場合もあれば、数週間で……ということもありました。

窃盗、放火、傷害、殺人など事件は様々でした。

鑑定の結果、不起訴になったり起訴猶予になったりする方々がいるわけですが、そうなると次は精神保健福祉法による措置鑑定とかになって、措置入院になったり、医療保護入院になる方々もいましたね。

こういう機会をいただき、だいぶ鍛えられたと思っていますので、井上先生には感謝しかありません。

しかし、どこにも漏れないはずの検査データや所見等が、私が所属していないある勉強会のなかで勝手に取り上げられ、私のいないところで一方的に言われのない批判にさらされるという、あり得ないようなことがあり、とても不快な思いをしたことをいまだに執念深く恨みに思っています(^_^;)

司法精神鑑定のお手伝いは、幸い病院側が業務の一貫として認めてくれていたので助かりましたが、報酬はあくまで鑑定人である先生に入ってくるわけで、我々に報酬はありませんでした。

そこも先生が気にかけてくださり、先生が受け取った報酬から過分な報酬をくださったり、もともとの報酬が少ないと、今回は報酬が少なかったので食事でいいかな?と普段お目にかかれないような高級で珍しいものを食べに連れて行ってくださいました。

そして、そういう場で聞ける先生のお話がとても興味深くおもしろいものでした。

晩年井上先生はそれまでの精神医療への貢献を評価され叙勲を受けました。

その際に井上先生は戦時中に満蒙開拓団の一員として満州で過ごされた経験についてのお話もうかがい、大変な時代を生きて来られたことを知りました。

井上正吾先生からはたくさんの貴重な知識や経験をいただきました。

そうそう、学生時代からわかりもしないのにフロイトだのユングだのにやや傾倒していましたが、井上先生からサリバンと中井久夫先生や木村敏先生を教えていただきました。

井上先生は交流が広く、木村敏先生や中井久夫先生からお電話が入ることもしばしばありました。

なんとかエセ臨床心理士ぽくなってきましたがどうでしょう?

さらに続く………かもしれないよ(^_^;)