不寛容

諸外国に比べてまだ日本はマシなのかもしれないけれど、陰湿な分たちが悪いかも………。

 

何のことかというと社会や地域などの不寛容さです。

 

かつて、日本は多少おかしかったり変わっていたりやっかいだったりしても、そういうことを社会や地域や家族や学校が何となくやんわり抱え、まぁ、しゃあないか……と許されていた部分がある。

 

つまり、おかしいことや変わっていることややっかいなことに今よりはずっと寛容だったのです。

 

とはいえ地域や時代によっては村八分など露骨な差別や排除やいじめもあったと聞きますし、部落問題もありますね。

 

かくいう私もかなり変だったが、治せとか矯正しろとかなんとかかんとか言われずに放置されてきた(許されてきた)。

この、変でもそのまま許されて、よってたかってああせいこうせいと言われなかった(術がなかった)ことは、そのまま生きていていいんだという重要な体験としてあるのです。

 

まぁ、寛容だったというよりも術がなかったわけですが、それがよかったのです(^_^;)

 

村田沙耶香さんの著作「コンビニ人間」にある、私は治さなければならないと思いながら大人になった……というところに現代の不寛容さと不幸が象徴されています。

 

現代の生きにくさは社会や地域や家族や学校の不寛容さにあり、その不寛容さこそが生きにくさを増強させているよね。