逆……

依存症者(問題表出者)本人をなんとかしようと一生懸命になり正気を失った言動が、さらに本人を悪化させてしまう……という状態を「共依存症」と言われていますが、これだと共依存症は依存症によって誘発されたもののように思えますが………

実は、共依存症が依存症を作っているという視点が抜け落ちています。

いろいろな方々のお話を聞いていると、どうやら家族の対応は本人の依存症発症以前から、病的におかしいことが多くみられるわけでして、その多くはわかりやすいDVや虐待のみならず、極端な家族主義だったり、高EEだったり、過保護過干渉だったり、高不安だったり、行き過ぎた潔癖だったり、いき過ぎたベジタリアンだったりビーガンだったり、新興宗教信仰者だったり、スピ系にハマっていたりり……することが多くて、しかもそういったことがバウンダリーを失った侵襲性の高い支配コントロールとなっていることが、依存症者(問題表出者)を作りだしていることが珍しくないのです。

いき過ぎた○○(自覚ないし、むしろソレが正しいと思っている)のほとんどは「取り憑かれて正気を失っている」状態です。

依存症等の問題はパラドキシカルメッセージとして表出されていくわけで、それはある種の家族への復讐なんだよね。

多くの共依存症者は自らを被害者や犠牲者と認識しますが、それ自体が共依存症の特徴なわけで、実態はむしろ家族の加害性が高いのです。

だからこそ家族は依存症者を何とかしようとするのではなく、自分自身が失った正気を取り戻す必要があるのです。

そして、でも〜、だって〜、〜だから……とアレコレ言い訳を並べ立てて上記の必要から目を背け(否認)続けてしまうのが共依存症者なんだね。

本人の問題を取り上げて、本人の代わりに悩み、本人の代わりに何とかしようとする(支配コントロール)ことで自分の問題を棚上げしていられるわけです。

共依存症者の厄介は自分自身が依存症であること(問題は自分自身である)の認識の欠落(否認)ね。

外からからああせいこうせいはほとんど役に立たないよね。

本人の代わりに困るのはやめようね。

本人が困らないように……じゃなくて、失敗も含めて本人にちゃんと困ってもらいましょうね
(もちろん例外もありますが……)

本人のことは本人にまかせましょうね。

たいていは、自分でなんとかするよね。

不安と怖れと焦りと怒りと恨みと罪悪感で手出し口出し金出し、ああせいこうせいはやめようね。

……でも、何かあったら……
……って不安になり、……つい、……わかっちゃいるけど、手出し口出し金出し……がやめられないってのが共依存症ね(^_^;)

ソレ……やめようね。

手放すべきは……ソレ……なのよ(^_^;)

そう、自分のためにね。

古いけど「男が女を愛するとき」「アンダーブルー」「リービングラスベガス」などの映画を観てごらん、共依存症の病みっぷりがわかるから(^_^;)

ほら、日本てさ安心して死なせてもらえない国じゃないですか……。

南米ペルーだったかの「野垂れ死ぬ権利」みたいなのがあってもいいよね。

余計なお世話が過ぎるし、その分過大なサービスを求めるという変な国だよね、日本て……(^_^;)