三重ダルクフォーラム雑感

 

思い出したことがあるのです……。

精神病院時代、まだ若かった頃患者さんとよく游んでいました。

キャッチボールや卓球やったり、外来で一緒にカップラーメン食べたり、こっそり自販機の缶コーヒー飲んだり、映画観にいったり、パチンコ行ったり、喫茶店に行ったり、買い物行ったり……

よく怒られましたよ(^_^;)
何やってんだ! 游んでんじゃない! ちゃんと仕事しろ!……ってね(^_^;)

でも遊ぶことをやめなかったなぁ(^_^;)

昔から精神病院には枠のなかでの遊びはあったのですが、私のやっていたことは枠をはみ出す遊びでしたので、いつもドキドキワクワクハラハラしていましたが楽しかったですね(^_^;)

私の師匠は目が回るようなめくるめく遊び(回転遊具のような)が大事なんだ、遊ぶことが、一緒に游べる人がいることが大事なんだと、よく語っていました。

プレイセラピーという構造化された(枠付された)遊びによる心理療法がありますが、私に言わせれば治療的手段として構造化されたものは、すでに遊びじゃないんだな(^_^;)

構造化は安心安全を提供してくれますので、構造化がいらないということではありません。

よく、游んでばかりいて……ということがありますが、やっぱり遊んでばかりいないとね(^_^;)

遊べる人は自ずと元気になっていきます。

近藤恒夫さんは「オレのやっていることは妄想遊行なんだよ」とおっしゃっていましたね。
また、「治そうとする人のもとでは良くならない」ともおっしっていましたね。

昨日の三重ダルクフォーラムで話されていたことに、ちゃんとしようとさせたり、誰かにとって都合の良い人にさせようとしたり、周囲の誰かが満足するようなことをさせようとしない……、誰かが無理矢理自分を変えさせようとしない安心感が大切なんだということがあって、私たちがつい陥りやすいところだなぁと思いました。

あと、ゲストの八谷さんが言っていた「身体から安心を整える」ということや「なんとなくぼんやりしたところにある安心」ということや「根拠なく信じてくれる人が必要」というお話にはとても共感ができました。

……でね、なぜいつも同業者集団のなかにいるととても居心地が悪いのかがわかったような気がしました(^_^;)