自傷行為や希死念慮……

東三河地区の高校教員、教育相談担当と生徒指導主事の合同部会にお招きいただき「子ども達の生きづらさと自傷行為希死念慮への理解と対応」というお話をさせていただきました。

東三河って静岡の方が近いよね、今日の会場(ライフポートとよはし)は何度か来たことあるけど案外遠かったなぁ(^_^;)

県内には私なんかより著名な方々やエライ先生がたくさんいるわけですが、場末の居酒屋のおやじみたいな私にお声がかかるなんて、ありがたいことで光栄なことです(*^^*)

これもご縁ですね(*^^*)

実は昔から東三河は何かとご縁があるところなのです。

さて、学校の先生達の研修ってスケジュールが分刻みでシビアで……なんだかなぁ(^_^;)

とにかく形が大事なんだよね(^_^;)

全員スーツ……、黒い人達の視線を一手に浴びる……ビビるわぁ(^_^;)

私はいつもの超ラフな格好で、完全に浮いてますが、どこにいくのも場違いなのがデフォルトです(*^^*)

以前種明かしをしたことがありますが、私の話はいつも隠れた課題(むしろこっちがメイン)がありまして、今日も先生達には私のまとまらない中途半端な混沌としたよくわからない話を聴く練習を、ある種のワークとして体験していただいたわけです(*^^*)

自傷行為希死念慮の背後にある言葉にしがたい苦悩と、自傷行為希死念慮の持つ意味を知るための練習になるような構造になっていたとは、たぶん誰もわからなかったと思います。

10代〜30代の若者の死因の第1位が自殺という時代ですが、こども達の自傷行為希死念慮は大人にわかりやすく語られることはほとんどありません。

むしろ、エリカさまみたいな(古い)「べつにぃ〜」というような、一見投げやりで反抗的でネガティブな態度や、クライシスハイと言われる明るい笑顔や、「大丈夫です」という態度の背後には、いつでも大人の安易な想像の及ばないことがあるのです。

パラドキシカルに、しかもメタコミニュケーションとして発せられるメッセージには、発している本人にも自覚できていないSOSがあります。

かれらのSOSを汲み取ることは容易ではありません。

安心して「もういやだ、死にたい……」と言える場や関係を作っていけるといいですね。

貴重な機会をいただきありがとうございました。