貧しくなっている

ちょっとお金の話………

ほぼ半世紀前、賄い付きの下宿から大学まで通っていた。賄い付きってわかるかな?下宿ってわかるかな?
ボロボロの木造平屋の一室、部屋は4畳(4畳半でなく4畳です)、トイレや風呂や洗濯機は共用で、朝晩2食付き光熱費込みで家賃が確か2万5千円だったね。
寮に入ることも考えたが、当時の学生寮はバリバリ体育会系の理不尽な所でしたので下宿を選択しました。
学食はだいたい250円あればお腹を満たすことができたし、近所の学生向けの定食屋や中華屋も300〜500円でお腹いっぱい食べれた。
ラーメン1杯180円だったよ。
惣菜パンとか60〜80円くらいだったよ。
市バスの料金が50円でした。
毎月実家から5万円仕送りしてもらい、あとはバイトしながら……でしたが、当時のバイトの時給は380円だったね。
5万円の仕送りは大変だったろうなぁ……。
毎日ひたすらバーベル上げて空手や柔道とバイトに明け暮れていました。
え? 勉強? 真面目にやってましたよ(^_^;)
体育学部でもないのに1年中どこへいくのもジャージでした(^_^;)

45年前、就職した精神病院の初任給が9万円(手取り)でした。
周囲の仲間たちは12〜15万円でしたので羨ましいなぁと思っていました。
就職するにあたり、家賃2万8000円の木造アパートに住み始めました(+光熱費、共益費に、なんと電話を引いていました)
6畳間が1つと4畳半のキッチンと風呂、トイレ(和式)の部屋でしたが、たまたま新築できれいでした。
そこに、いただきものの窓型エアコン(知らないだろうなぁ)を設置しました。
駐車場もありました。

しかし住み始めて1年後に白アリ被害に遭い大変な思いをしましたが費用負担はゼロでした。

勤務先の病院までは車で1時間以上かかる所でした。
あまり近いところは嫌だったのと、大学にバーベルを上げにいったり、途中にある道場に通うのに便利だったのです(^_^;)

最初は実家から持ってきた原付きで通っていました。ガソリンが70円/Lくらいだったよ。
パソコンはもちろん携帯もなかったよ。

途中で10万円で買った車で通うようになりました。

給料が10万円程度で車を所持していても暮らしていけたよ。

看護補助としての夜勤手当は3500円くらいだったね。
ちょっとでもお金をたくさん稼ぐためにたくさん夜勤をやっていました。
盆暮れ正月はほとんど病院で過ごしていました。

年2回のボーナスは4.2ヶ月だったかな?

かなり安く病院で3食食べることができたので食事代は節約できました(朝が120円だったかなぁ、昼と夜はそれぞれ250円くらいだったと思う)

なんか半分病院で暮らしていた(入院していた?笑)ようなもんだね(^_^;)

当時は社会保険の医療費の自己負担は1割だったし、勤務先で治療を受けた分は病院が負担してくれたので自己負担ゼロでした。

勤務先の病院に自分が強制入院させられた時も自己負担ゼロでしたよ。
当時は病院に付き添いさんがあたりまえにいた時代です。

何が言いたいかというと、あの頃は貧乏だった(たぶん今の方が貧乏)けれど、そう、全然お金なかったけれど暮らせてたんだよね。

暮らし方は今よりずっと豊かだった気がする。

なんかさぁ、お金だけじゃなくて生き方が貧しくなっているんだよねぇ(ーー;)

ワシだけ?