極論……

 

全ての問題(トラブル、アクシデントなど)は自己治療的再演(リイナクトメント)なり!
 
今ここの問題は、かつての未解決の課題が自己治療的に、時を超え、場所を変え、相手(対象)を変え、質と方向性を変えて再演されているのです。

職業選択や配偶者選択や様々な人生の選択(日常の小さなことから特別なことまで)にも影響を及ぼします。

これを反復強迫と言い、意識的なものではなく、全く自覚のない無意識的影響を受けているものです。

これを「ご縁」とも言います。
 
しかし、多くの自己治療的再演はうまくいかないこと(問題行動、症状、関係)として繰り返されてしまいます。
 
もちろん、そういうこととは無関係に様々なアクシデントやトラブルに遭遇し、私たちはその中で生きているのですが、その中のいくつかは再演されているものなのです。

私たちはまるで呼び込んでいるかのように、だいたいいつも同じようなことで失敗したり、同じようなことで悩んでしまうのです。

……悩み、苦しみ……、また同じようなことを繰り返していくのです。

……救いや平穏や安心を求めながら苦悩に身を置いていくのです。

実はアディクションをはじめ、いわゆる問題行動といわれる家族や周囲を巻き込み、周囲を困らせてしまうトラブルやアクシデントには、先に述べたような自己治療やパラドキシカルな援助希求性のみならず、復讐(報われないし不毛ですが……)という意味合いも含まれているのです。

これは、小さな子どもが人がたくさんいるお店で、地面に寝っ転がり泣きわめきながらバタバタと駄々こねて、親を困らせている……ということなんだね。

抱っこして、よしよしして、おっぱいちょうだい……と

しかし、大人に対し良かれと思って不用意にごきげんをとろうとしたり、なだめたり、おだてたり、脅したり、取り引きをしようとしたり、代わりに引き受けたり(全て小さな子どもに対する対応です)……をしてはいけません。
それらは退行促進行為であり、相手をいつまでも小さなこどものままにしておくことになるのです。

天童荒太は『永遠の仔』のなかで「人は救いを求めて罪を重ねる」と述べ、上岡陽江は『生きのびるための犯罪(みち)』という著書を書いていますが、そういうことなんですね。

……で、どうする?

車谷長吉(くるまたにちょうきつ)は『人生の救い』のなかで「人生に救いもなければ秘訣もない、粛々と不運を生きるのみ」と言っていましたし、加島祥造は『受け入れる』『求めない』という著書を書いていて……

ま、そういうことなんですね(^_^;)